Web Café "Prelude"

Lunatic Moon

僕は、峠道を車で走っていた。深夜 0 時。月が真っ白に光り輝いて空に浮かんでいる。あまりに綺麗なので、僕はパーキングに車を停めて、空を見上げた。白というより銀色に近い月で、少しだけ黒ずんだ部分が兎に見えた。いや、兎というより色白な婦人のシミに見えるかもしれない。そう思うとあまり綺麗な気がしなくなった。パーキングは、街路灯さえもなくて車は僕の車一台だった。ふと耳を澄まし、深夜の誰もいないパーキングで背伸びをする。

「…」

誰かいる気がする。人の気配。誰だ。車の方を見る。誰もいない。パーキングを見回す。ちょうどゴミ箱や空き缶入れのプラスティックの壊れた入れものの影に白いものが動いた気がした。人? 背中に汗が流れるのを感じる。汗は、音をたてて溢れ出て、幾筋かの汗がひとつになりこぼれ落ちた。白いものは、震えているように見えた。月の光しかないこの世界で、その白いものは一層白く僕の目の前で震えていた。

人だ。人の背中だ。髪が長いように見えるが、近づいて確認してみないとわからない。僕は、決心してその背中に近づくことにした。白いものは怯えながら震え続けていた。恐らく僕を攻撃したり危害を加えたりすることはなさそうな気がする。歩いて近づくと、彼女はふと、こちらを見た。

彼女は泣き疲れ、恐ろしいほどに目が腫れていた。18 か、19歳位か。顔は紅潮していた。かわいい子ではあるが、状況はかわいい女の子にはふさわしくはなかった。彼女は、また目をそらし、うつむいた。そして、彼女が裸だということに気がついた。裸でこんな真っ暗な場所に一人いた彼女。僕は想像した。恐らく、若い男に車にでも乗せられて、乱暴されてここに投げ捨てられたのだろう。

「大丈夫かい?」

「…」

「大丈夫かい?」もう一度聞いてみる。

「はい…」乾いた声だ。

はいと答えているものの、大丈夫な訳がない。

「よかったら僕の車に乗らないかい? 近くなら乗せて行ってあげるけど」

「いいんですか?」

「問題ないさ。僕も一人のドライブは淋しいし、助手席にレディーを乗せるのも気分は悪くない」

「うふっ」彼女は、一所懸命に微笑もうとするが、うまく微笑むことができなかった。

僕は、財布と携帯電話をスーツの上着から抜いて、ズボンのポケットに突っ込み、彼女に着せた。彼女は、まさに裸で、黒い皮靴以外何も身に着けていなかった。僕たちは一緒に車に向かう。そして、助手席のドアを開けてやると、彼女は車に先に乗り込んだ。この月夜に、裸で外にいる気分は恐ろしかったに違いなかった。車の中とはいえ、世界から隠れることができた彼女はなんだか、安心したように見えた。助手席に座った彼女が、微笑んだのを確認すると、僕は車の前を回り運転席に座った。

「さぁ、どちらにお連れしましょうか? お姫さま」

「うんとね。とりあえず向こうに行って、王子さま」

「かしこまりました、お姫さま」

僕らは、笑いながら発進した。彼女は、スーツを纏いながらも、少しだけ見える下半身を手で押さえて、座っている。車の中には、僕がいつも帰る時に流すテープが流れていた。ドボルザークの、「家路」だった。彼女は外の景色を眺めながら、頷くようにリズムをとった。ギアを 2速から 3速に入れたその時に、彼女は、こちらを向いた。僕の顔を見つめる。

「どうしたんだい? 僕の顔に、バカとでも書いてあるかい?」

「うん。」

「そうか。多分、じいやの奴が僕が寝ている間にでもいたずらをしたのかもしれないな」

「うふふ。面白い王子さまね。王子さま、あなたはなぜそんなに優しいの?」

「綺麗なお姫さまが、苦しんでいるのなら助けるのさ。白馬に乗って現れる」

「そう。」

彼女は、また僕を見ていた。僕は本当に顔に、バカと書いている気がして、顔をなぞってみる。勿論、ぬぐった手には何もついていなかった。

白い月は、相変わらず僕の向かう先の遥か頭上に浮かんでいた。遠くに見える湖上に、月が綺麗に映っていた。風のない湖面はまるで、鏡のように月を映し出した。その黒い湖面にある月が本当の月なのかもしれないとさえ思えた。

そうだ、今日仕事の帰りに貰ってきたクリーニングから戻ってきたスーツがリアシートにある。彼女に、まだビニールに包まれたスーツを渡した。彼女は、ビニールを几帳面に剥がし、ズボンと上着にわけた。そして、うまく腰を浮かしながら僕のスーツを身に着けた。黒い大きな上着は、彼女をより一層小さく見せた。

湖を抜けると、モーテル街に差し掛かる。

「ねぇ、そこが家なの。入って」

「え! ここって?」

僕は戸惑いながら、車を左折させた。彼女は、笑いもせず驚きもせず、前を見ていた。前にある何かを見ているのではなく、目の前の空間を見るような瞳をしている。彼女を見ていると、なんだか自分自身が、何か違う世界に存在する気がする。月と湖と不思議な少女がいる世界。世界の誰にも会わない。世界は、月に照らされ、全てが白く照らされるか、暗黒の闇。

駐車場に車を停めると、彼女は器用に胸を隠しながら車を降りた。大きなスーツは足元で引っかかる。埃っぽいコンクリートで裾は、白くなっている。あぁ、またクリーニング屋に逆戻りだ。仕方ない。月のまやかしなのだ。銀色のアルミ製のドアを開けると、彼女は先にモーテルに入って行く。床も壁も、赤紫に統一されていた。彼女は、入り口に用意された部屋を選ぶパネルを見て、迷うこともなくひとつの鍵を抜き取った。そして、鍵を片手に持ちながら、また奥へと進み始める。深夜のモーテルは、小さな音でクラッシックが流れている。そして、部屋の番号と、カギの番号を確認して、彼女はドアのカギを開けた。

部屋の中は、青い絨毯に白い壁紙であり、奥には広いベッドがある。ベッドの左側にはドアがあり、恐らくバスルームであろう。ベッドの上の枕には、橙色の光が当たっていた。光は、ふたつの枕を均等に照らしている。

「ここがおうちかい? お姫さま」

「そう。私は帰る家がないのよ」

「逃げ出したお姫さま。ですか」

「ねぇ、お風呂に入りましょう」

「先に入っておいで。僕はテレビでも見てるさ」

「ねぇ。一緒に入りましょう」

「え? 今日会ったばかりの男の人とお風呂に一緒に入るのかい?」

「寂しいの。ねえ、一緒に来て」彼女は泣いていた。下を向いて青い絨毯に涙が落ちる。

「わかったよ。先に行ってて」

女の子を泣かせる趣味はないが、今日会った女の子と一緒にお風呂に入るとは思っていなかった。僕は混乱した。混乱しながらも、何かを期待している。自分が嫌になる。

バスルームには、大きなバスタブと白い桶と、あまり高そうではないプラスティックの白い腰掛があった。彼女は、シャワーを上から浴びていた。暖色系の照明で、彼女の肢体は艶っぽく動いていた。長い髪は、肩にはりついて湯を背中に導いている。背中は静かな曲線を描いていた。臀部は、柔らかく膨らんで足の付け根につながる。タイルの床には、彼女の体を洗い流して落ちた泡と湯が音を立てて落ちていく。僕はそんな様子を眺めながら、バスタブに浸かる。湯はまだ腰の高さにしか溜まっていなかったが、シャワーの湯のおかげで寒さを感じることはなかった。

「綺麗ですね。お姫さま」

「そう。ありがとう」顔を洗いながら、答える。

彼女の一通りの作業が終了したらしい。僕がかわりにシャワーを浴びて、彼女が、バスタブに浸かる。もう既に肩まで浸かることができるほどに、湯は溜まっていた。僕は、腰掛に座り、いつもどおりの順番で髪を洗い、顔を洗い、髭を剃り、もう一度顔を洗い、最後に顔を洗った。彼女は、有線で流れているクラシックを聴きながら、目を閉じていた。

「終わったよ」

「うん。先にあがってて」

やれやれ、わがままなお姫さまだ。僕は、銀色のノブを回し、脱衣室でタオルで体を拭くことにした。タオルは、硬く乾燥していて、僕の体の水分を吸い取った。正面にある洗面鏡に映る自分の裸体を眺めていると、幾分腹が出てきたように感じる。ああ、僕にも年齢相応に、以前スマートだった体に脂肪が、与えられるようになったのだ。バスローブを着て、僕は部屋に戻ることにした。

部屋の冷蔵庫から、缶ビールを取り出しベッドに腰掛けながら飲むことにする。銀色の缶が、バスルームから漏れた明かりで輝いた。タバコに火をつけると、深く吸い込んだ。ビールを一口飲む。苦い味が舌から、喉、胃へと移動する。冷たさが残る感じだ。天井のスピーカからは、バッハの「主よ。人の望みの喜びよ」が静かに流れている。薄明るい、あるいは薄暗いこの部屋で、僕は何をしているのだろう。

ベッドの隣が急に明るくなり、彼女が出てきた。バスルームの電球を背にして、彼女のシルエットだけが、黒く動く。バスローブを着て、髪の水分をふき取りながら、出てくる。僕は彼女を眩しそうな視線で眺めている。タバコを最後に一口吸い、枕元の吸殻いれに擦り付ける。紫色の煙が最後に立ち昇る。赤い火種が、吸殻いれの中で、黒い灰になった。

「おかえり」黒い影に言う。

「ただいま」黒い影が答えた。

枕元のデジタル時計を見ると午前 2 時 16 分を示していた。時間を確認すると、僕は急に横になりたくなった。ガサガサに乾燥したシーツの中に潜り込むことにする。白いシーツは、洗濯糊の匂いと、彼女のシャンプーの香りがした。彼女がドアを閉めると、部屋はまたもとの暗さに戻った。間接照明は、僕の頭を照らし、彼女の白いバスローブを照らした。

「さすがに眠くなってきたよ、裸のお姫さまもさらったことだしね」

「そうね。私も疲れた」

「眠ろうよ」

「そうね」

僕は、窓に近い側に横になり、彼女は、バスルームの入り口の方に横になった。背中を向ける彼女。僕は、その背中を見ながら、枕元の照明のスイッチを切った。

「起きてるかい?」

「うん」

「もし、君が嫌でなければでいいんだけど、なぜあんなところに裸で座っていたのか教えてくれないか?」

「いいよ。ねぇ、デリヘルって知ってる?」

「なんか聞いたことがあるね。よく知らないけど」

「そう。もしかしたら貴方みたいな人には縁がないかもしれないけど、簡単にいうと、お客さんのところまで出前に行くヘルスみたいなものよ。ヘルスは、貴方も知っているでしょう?」

「ああ。たぶん」

「私は、デリヘル嬢なの。そして、あの時も仕事中だった。お客さんにこのモーテルまで会いに来て、お仕事をして帰るところだったんだけど、こんな山奥でしょう? だから、その人の車に乗せてもらって、あのパーキングに寄ったの。彼は、私にここで降りるように行ったわ。裸でね。夜だったし、周りに車もいなかったし、彼少しお金をくれたから、裸になって、車の外に出たの。そういう趣味の人なんだろうって。」

「いろんな趣味の人がいるもんだね」

「そうよ。男の人って、風俗とか行くでしょう? 勿論全ての人が行くわけじゃないと思う。でも、デリヘルなんか使う人ってやっぱり、そうそうモテル感じの人じゃないわね。そもそも、かっこいい男の人は、彼女や奥さんとか、場合によってはそれ以外の女の人とセックスしたりするじゃない。だから、私が仕事として会う人たちは、かっこいい男の人はいないわね」

「そう言われてみれば、そうかもしれないね」

「そう。そして、いろんな男の人がいるわ。例えば、”何もしなくてもいいから、僕の前でうんちして”とか、”僕はひとりでするから、君はハイヒールでケツを蹴飛ばしてくれ”とか、そんなの。彼らには、いろんな性欲の形があって、私は一所懸命、それを具現化するの。女王様がいい人には、女王様、いじめたい人には、可哀想な娘を演じるの」

彼女は、吸殻いれの隣の僕のタバコを取り出し、ライターで火をつけた。彼女の顔が、暗闇に一瞬浮き上がり、あっという間に暗闇に戻った。そして、赤い灯りが、ホタルのように暗闇の中で踊った。

「そして、あの時のお客さんも、私を痛みつけるお客さんだったの。こんな山の中のモーテルで、一人罵られて。その時、私は無になるの。深く考えたらこの仕事はできないわ。そして、彼が果てた後に、私はお金を貰うの。当然、全部が私の取り分じゃないけれど、私はそのお金を貰った瞬間にいつもの私に戻るのよ。そして、彼に送ってもらう帰りに、あのパーキングで降ろされて、彼は車を発進させたの。私のバイブやら鞭やら、現金やらが入ったバッグも一緒にね」

「そうか。それは…」

「そうよ。これが私。軽蔑した?」

「いや。軽蔑はしていないよ。そんな世界があるんだって知らなかったからさ」

「ねぇ、貴方はなぜ私に優しくするの?」

「わからない。月のせいじゃないかな?」

「月? 変な人ね」

「そうかもしれない」

「私とセックスしたい?」

「うーん。多分したいと思う。僕も一応男だからね。でも、どうしてもってほどではないかな」

「へー。いろんな男の人がいるのね」

「そう、いろんな男の人がいるのさ」

彼女は、最後の一口のタバコを吸うと、手で探りながら吸殻いれを見つけそこにタバコを押し付けた。僕の時と同じように、火種が黒い灰になり、また、暗い部屋に戻った。

「私、してもいいよ」

「うーん。でも、さっきの話を聞いたら、そんな気分にはなれないよ。もしかしたら、君をまたパーキングに置いて逃げるかもしれないじゃないか」

「ううん。貴方はそういう人じゃないわ。私にはわかるの」

「騙されてないかい?」

「うん、騙されてない」

彼女は、こちらに向きなおり、僕のバスローブをほどいた。僕は、見えない黒い天井を眺めて腕を頭の下にもぐらせていた。何も見えない。彼女は、僕のトランクスの中に手を入れた。

「大きくなっているわ」

「そうだね。息子は親父と言うことが違う。今、反抗期なのかもしれないね」

「ねぇ、私の中に入りたい?」彼女は、ペニスを少し握って聞いた。

「…」

「入りたいって言ってるわ。かわいくて正直な息子さんね」

「わかりやすい息子だな」

「うふふ」

彼女の手の中で、僕のペニスは大きく起立し、脈打った。僕は、彼女に同情していると思っていた。慈悲深い目で彼女を眺め(それは暗闇の中ではあったが)、優しく守ってあげたいとさえ思っていた。しかし、僕のペニスは彼女の中にうずまることを望んでいた。そして、彼女は、僕のペニスを口に含んだ。

僕は、腰のあたりに彼女を感じながら、天井を眺めていた。天井は相変わらず暗闇だ。僕は彼女の舌で包まれてる自分自身が、鼓動を打っているのを感じている。

「ねぇ、こういうのはやっぱりよくない」

「なぜ? よくないの?」

「いや、すごく気持ちがいいよ。でもね、君は、多分どこかで"仕事"をしているような気がするよ」

「…」

「月を見ようよ」

「月? なぜ貴方は月の話ばかりするの?」

僕は、彼女から離れるように座りなおした。暗闇の中で彼女は、どういう顔をしているのかわからない。多分呆れているんだろう。僕は、トランクスとバスローブを整えて立ち上がり、窓を開ける。白い壁紙の観音開きの扉を開けると、遮光カーテンがある。遮光カーテンを開けると、そこは白と暗闇の二つしかない世界だった。駐車場に照明はなく、月の光だけで照らされていた。ふと、足元を見ると青い絨毯が、月の光で白く照らされてることに気が付く。それは、太陽の明るさとは違う、優しさに溢れた光だった。彼女は、僕の隣に立ち、空をひとまわりみて、そして月を見た。彼女の顔も月の光に明るく照らされた。先ほどまでの仕事として、僕と寝ている彼女とは違った。

「明るいのね。こんな明るい月を見たのって初めて」

「僕もだよ。こんな山奥だから遮るものもないからかな」

「そうね。なんか私、やっぱり貴方と仕事の延長として寝ていたのかも知れない気がする」

「なぜ、僕となんか寝るんだい?」

「多分、誰かに触れていたかったんだと思う。ねぇ、なぜ人は人と触れたがるんだろうね?」

「自分を感じたいからじゃないかな。人に触れていると感じるのは、結局自分じゃないかと思うんだ。勿論相手も感じている。でも触ってる感覚があるのは、自分だけさ。そうして、自分を感じることができる。なんとなく言いたいことはわかるかい?」

「うん、わかるわ。でもね、触れている感覚を共感するという考え方もできるんじゃない? 貴方に触っている私、私に触れてる貴方。お互いに感じている」

「そうだね。僕は自己中心なのかもしれないな」

「ねぇ、私ね、貴方に抱かれたいの。とても。貴方はのほほんとしているけど、触れていたい人」

「そうか」

月は、二人を青白く照らす。その光は彼女を優しくさせたのだ。

彼女は、先にベッドに横たわる。遮光カーテンを開いたままなので彼女の白いバスローブが、限りなく白に近い青に光る。そのバスローブと彼女の怯えたような安心したような顔を少しの間だけ見つめた。やがて彼女は、待ちきれなくなり僕に視線を送る。

「来てくれないの?」

「いや、行くよ。綺麗だから眺めていたんだ。ところで君をなんて呼んだらいいんだい?」

「貴方の初恋の人の名前はなんて言うの?」

「うーん。さやかだったかなぁ」

「じゃあ、さやか」

「そうか。君の初恋の子は?」

「シンジ」

「じゃあ、僕はシンジだ」

「シンジ、私を抱いて」

「…」

僕は、シンジとなり、彼女の隣に座った。そして彼女の頬に手を当てる。彼女の頬は、月の表面のように冷たく滑らかだった。僕はその感触を感じながら、彼女を見た。目を閉じて、僕の手の温かさを感じているようだった。髪に触れ、優しく手でかきあげる。小さな耳が現れた。彼女の小さな耳は、まるで小物店にある置物のように精巧な作りをしていた。ひだには一切の無駄がなく、あるべき場所に耳孔があった。柔らかくまだ湿り気のある髪をかきあげながら、その小さな耳に軽く口づけした。彼女の体が小さく震える。小さな困ったような表情を表わす小さなしわが眉間に現れる。目がかたく閉じられた。

バスローブの腰巻を彼女の腰を浮かせながら取り去る。自然に彼女の乳房があらわになる。柔らかく、小さなその膨らみを眺めながら僕は、自分自身が立ち上がるのを感じる。彼女が目を閉じているのをいいことに、僕は乳房に触れず、首元にキスをする。白く、ボディーシャンプーの香りのする首元。手でその存在を確認する。また、耳に触れながら首に触れる。そして再び、髪をかきあげる。バスローブを広げて、彼女の肩を月の光に当てる。小さな肩。少し震えるように、上下している。彼女の呼吸だ。その肩を見ながらさらに、バスローブを下げる。彼女は器用に肩とひじを使い、バスローブを脱いだ。そして僕は、彼女の左肩の下の部分、腕の中ほどにほくろを見つける。そのほくろに口を押し当てた。腕を軽く抱きながら、彼女のほくろにキスをする。彼女は、ゆっくりと右手を持ち上げ、僕の胴にまわした。右手は僕のバスローブを軽く握りしめた。

体を寄せ合いながら、彼女の乳房に手を置く。乳房は、まだ少女のような硬さを残していた。硬いという表現が正しいか、僕にはわからないけれど、成熟した女性には感じることのない硬さだった。隆起したその膨らみの先にある突起を軽くつまんでみる。彼女は、少しだけ体をよじらせた。左手で彼女の体を少しだけ浮かせて、右手で髪と耳に触れて、突起部分を口に含む。舌でその味を確認する。

「あっ」

彼女の声を久しぶりに聞いた。暗い部屋の白いシーツの上の、白いバスローブの上で、僕の腕の中にいる彼女。

「ねぇ、さやか。目を閉じていると何が見えるんだい? 」

「何も見えないわ。なぜ? 」

「いや、なんでもない」

「そう。でも貴方がすごく優しく私に触れているのは感じる。優しく、そっと触っているのに、すごく感じるの。触れられていること。神経が貴方の触れる場所に集中しているような感覚よ」

ゆっくり手で、腰に触れながら、僕は彼女の腹部に口づけした。柔らかく、少しだけ膨らんだ腹部。その柔らかな膨らみの中心に、へそがある。胴の脇をゆっくりと手でなぞると、くびれた腰を確認できる。しかし、彼女はそれを嫌がるように、体をよじらせる。

バスローブを全て取り去ると、小さな下着を穿いていた。その小さな下着を、腰を浮かせて脱がせる。彼女の薄い陰毛に触れると、僕はなんだか懐かしい気持ちになった。その手に触れる感覚を、僕はどうして懐かしいと感じるのか理解できなかったけれど、確かに懐かしいと感じたのだ。

太腿に大きな弧を描いてから、彼女自身に触れる。部屋の白くて冷静な光とは裏腹に熱く湿っている。その中心部の熱い泉を指でなぞり感触を確認する。僕の指が彼女の温もりであたたかくなった。

僕は、彼女自身の中心部の小さな突起に口づけた。大きく彼女が震えた。それから、僕は舌でその突起を何度も愛撫した。

そして、僕は彼女の中に埋まり、彼女を感じた。二人果てた後の部屋は、月の光の照明から、太陽の明かりへと変化していた。太陽は全てを照らし、僕と彼女を眠りへと誘った。彼女が、僕の胸の上で小さな寝息をたてたのを確認してから僕は、目を閉じた。

僕が目を覚ましたのは、ベッドサイドの時計で午前 10 時 30 分のことだった。陽は高く昇り、開け放たれた遮光カーテンの間から既に昼間の光が射し込んでいた。爽やかな朝は、小鳥のさえずりと弱い太陽の光で清清しくあるべきだけれど、現実はそうはいかない。小鳥たちは、もう今日の空に食べ物やら、恋するべき相手を探しに行ったのだ。そして、僕たちは、夜更かしをし過ぎて、ベッドで遅すぎる朝を迎えたのだ。

彼女はまだすやすやと眠っていた。僕の胸にいたはずの彼女は、自分の枕に戻り子供のように両腕を放り投げて寝ていた。僕は、静かに立ち上がり洗面台に向かった。洗面台の使われていないハブラシを取り出して、歯を磨いた。使い捨てのハブラシは使い心地が悪く、洗面台から出る湯は熱すぎた。顔を洗い流し、異常なまでに乾燥しているタオルで顔を拭いた。洗面鏡で自分の顔を見ると、なんだか普段の自分に見えない。何かが違うのだ。でも、僕が髭を触ると彼も髭に触れた。同時に。

部屋に戻ると彼女は目を覚ましていた。横になったまま天井を眺めていた。天井は白い壁紙で、模様は何もない。彼女は天井を見ているのではなく、天井と自分の間の空間を見ているのだ。

「目を覚ましたんだね」

「うん。ねぇ、帰りましょう」

「そうだね。まずは体を起こしてからだね」

「うん」彼女は、気だるそうに体を起こした。

僕は、テレビのスイッチをつけると、自分のスーツ(あるいは昨夜、僕が着ていた方のスーツ)を着た。そして、騒音にしか思えないテレビをリモコンで切った。バチッっと音がしたところで、彼女がバスローブのまま現れる。彼女に、自分のスーツ(あるいは昨夜、彼女が着ていた方のスーツ)を渡す。彼女はスーツを受け取ると、恥らうこともなく下着になり、僕のスーツを着た。相変わらずスーツは大きめで、彼女の足元でスーツを引きずることになった。

「さぁ、行こうか」

出口に設置された精算機に札を飲ませ勘定を済ませ、車に乗った。車の時計は午前 11 時 16 分。

「さぁ、僕は明日からまた仕事だ。君はどうするんだい? 」

「そうね。貴方の家に連れて行って」

「家に来るのは構わないけれど、それからどうするんだい? 」

「わかってるよ。貴方にはもうこれ以上甘えられないよ。」

僕は、車を走らせ自分の家に急いだ。車のテープは相変わらず「家路」が流れていく。確かに家に帰るところだけれど、「家路」の旋律は余りにも外の青空と、眩しい太陽には似合わなかった。

帰ってきた自宅は、日常であり、僕であり、生活だった。彼女を居間に通し座らせると、僕は遅い朝食、あるいは昼食を作った。卵とハムを焼き塩とこしょうをふりハムエッグを作った。ミルクと卵を混ぜてトーストを焼き、フレンチトーストを用意した。白い大きな皿によそうと、テーブルに並べた。彼女と二人で食べる食事は、初めてだったけれど、それもまた、あるいは日常なのかもしれない。僕であり、生活なのだ。

「おいしいわ。見直したわ」

「一人暮らしが長いとダメだね。正直、結婚しなくてもこんな感じでやっていけるんじゃないかと思ってしまうよ」

僕は、部屋に干してある洗濯物を見ながら、ハムエッグを口に入れ、彼女に話した。

「ああ、君の服を買わなくてはならないね」

「うん、ごめんなさい。でもどうやって買うの?」

あいにく僕は、しばらく彼女と呼べる人はいなかったので、女性もののストックがなかった。考えてみたら女性用の下着やら服やらを持っている独身男性はそうそういないだろう。仕方ない。買いに行こう。そうしないことには、彼女は外に出るのも困難だろう。

「わかった。僕が出かけて買いに行くことにするよ」

「ごめんなさい。ちゃんとお金は返すわ。店の待機する部屋に行けば、私の私物がまだあるはずだから。私をおいて行ったお客さんが持っていたバッグには、精算用のお金しか入ってなかったから」

「ああ、でもいつでもいいさ。気にしない。彼女もいないからお金を女の子に使うこともないからさ」

「うん」

僕たちは食事を終え、僕が一服をしている間に、彼女は洗い物をした。よく気がつく娘なのかもしれない。それが済むと、僕はまた車に乗り、ジャスコに向かった。女性ものの服を買いに行くのは、初めてだった。

「どんな服をお探しですか?」

ジャスコのテナントの店員は、綺麗なモデルのような子で、まるで雑誌から飛び出して来たようだった。僕は、その子と交際していることを考えた。雑誌の中から飛び出したモデルの女の子。しかし、馬鹿げた妄想は現実感がない。まるで、彼女と食事をしたり、買い物をしたり、セックスしたりすることが想像できないのだ。

「実は、わけあって一人の女の子の服を買わなくてはならなくなったんだ。しかし、サイズやら何やらが全くわからない。そうだな、君くらいの背丈の子だよ。ワンピースか何かをもらえないだろうか? 歳は 20 位で、少し派手な感じの子なんだ」

「かしこまりました」

雑誌のモデルの彼女は、一瞬困ったような顔をしたが、すぐに雑誌のモデル的な笑顔に戻り、そう答えた。そう彼女は、服を売る仕事をしているのだ。後ろの部屋に戻ると、彼女は綺麗な青のワンピースを持ってきた。問題ない。僕は女性ものの服を買うことは初めてだったし、なんだか気恥ずかしいし、その服を買うとそそくさと店を出た。

自宅に戻り彼女に服を渡すと礼を言い、また僕の目の前で着替えた。彼女は仕事として、お客の前で裸になるのだから、隠れて着替えるという感覚がなくなっているのかもしれない。サイズは問題なかった。

「ありがとう。大切にするわ」

「うん。なんだか印象が変わったね。気に入ってくれたならプレゼントするよ。お金はいらない。」

「うふふ。ありがとう。ねぇ、貴方は裸の私しか知らないでしょう? 」

「そうだね。裸を先に見るっていうのは、恐らく一般的な出会いの形態ではないだろうね」

「そうね。非日常的だわ」

この違和感は、恐らく日常の中にあるからなのかもしれない。非日常的な彼女を日常的な物象である僕の部屋に見ることで、違和感を感じるのだ。

彼女は、姿見の鏡を見ながら、1回転してまた自分の姿を確認した。そして、鏡越しに素敵な笑顔で笑った。僕はタバコを吸いながら、そんな彼女を見ていた。

「最後にひとつだけお願い。私を地下鉄の駅まで送って欲しいの」

「わかった。これでお別れだね」

「そうね」

僕たちは、車に乗り込み地下鉄の駅に向かった。何も変わらない日曜日の街は晴れ渡り、少しだけ車が混み、少しだけ物憂げだった。

車の中では、彼女は見慣れない僕の家の近所の様子を見ていた。ブルーのワンピースを着ている彼女を見ると、まるで別人を乗せているかのようだった。

「ねぇ、私ね、あの仕事を辞めようと思うの」

「そうか。その方がいいね。裸で変な男に連れ去られずに済む」

「うふっ。貴方は優しくていい人だわ。街で素敵な出会いができたらよかったのに」

「君は大事なことを忘れているよ。僕は君と寝た。もしかしたら、君と寝るために誘ったのかもしれないよ」

「ううん。そうそう裸の女の子は落ちていないわ。それに貴方は、なんだかつかみどころがなくて、変な人。でもね、あの夜に貴方に抱かれたのが、多分いいきっかけになったかも知れない。あの月の光を浴びて、貴方に優しくされていたのがね」

「うん」

地下鉄の駅の前は、見送りや迎えの車が数台停まっていた。その一番後ろにつけると、僕は彼女に 1 万円を渡した。彼女は最初は遠慮したが、財布を持っていないので、最後には受け取った。これは、お客として払ったのではないのだ。君の足代だよと。

無邪気に手を振ると、彼女は地下鉄の階段を下りて行った。僕は彼女を見送りながら、ステアリングに手を載せていた。あの娘ともう二度と会うことはできないだろう。これで、僕は日常に戻るのだ。そして、また一人の生活に戻るのだ。

その夜、僕はまた峠道を走りに行った。勿論僕は、そんなに若くはないから、無茶な速度でタイヤを鳴らしながら、曲がるような運転はしない。それが楽しいのは、もう少し若い頃だったのだ。ああ、あの時は、夜空に浮かぶ月さえも見ていなかったのだ。道を見て、ハンドリングを考え、次のカーブを頭に描き、最も適切なギアを選択することを考えた。そんな走りをいつしかしなくなった。ただ、道をトレースして、横を通り過ぎる森や、夜空に浮かぶ月を見て速度を保って走るのだ。

彼女と初めて会ったパーキングに駐車する。彼女と会った時と同じように、街路灯もなく、車も一台もなく、相変わらず月の光だけが頼りだった。僕の車は、まるで散歩を待つ犬のように、静かなエンジン音を立てて、僕の帰りを待った。僕は、また月を見た。月は昨日よりも、少しだけ欠けているか、満ちているはずだけれど、僕には全くわからなかった。天文少年ではなかったのだ。月は、子供の頃描く絵のように黄色ではなくて、白い。白い月の光が、地上にいる僕にも、しっかりと注がれている。後ろを振り返ると、しっかり影ができている。僕は、左手を少し振ってみた。影はしっかりと同時に手を振った。

歩いて、湖畔に行くと、そこには、一組のキタキツネがいた。人間に慣れたキタキツネは、僕が来ても遠慮することなく、その場に留まった。僕は、キタキツネの隣に腰掛けた。湖は静かに波打ち、僕の足元に寄せていた。湖水は限りなく透明で、月の光のおかげで湖底が見えた。そして、波に月の白い光が反射して、僕の目に突き刺さった。静かな波音と、幻想的に輝く湖面。キタキツネの恋人(僕が勝手に想像しているだけだけれども)たちは、僕と一緒に、湖面を見ていた。彼らには、この湖水は、僕たちの海のように見えるかも知れない。ふと、涼しい風がほほを撫でる。僕は彼女の冷たいほほを思い出した。キタキツネのカップルは、風に当たると互いに体を寄せ合った。そうだ、キタキツネでさえ、体を寄せ合うのだ。僕は、なんだかあの夜のことを思い出した。

「なぜ、僕となんか寝るんだい?」

「多分、誰かに触れていたかったんだと思う。ねぇ、なぜ人は人と触れたがるんだろう?」

僕たちは、触れあっていないと安心できない生物なのだ。いや、キタキツネでさえ、触れ合っていないことには、互いのことを確認できないのかもしれない。触れ合って、体を寄せ合って僕たちは生きている。触れ合うことが、なかなかできないで寂しい夜を過ごしている人もいるだろう。体を寄せることができないで途方に暮れるキタキツネもいるかもしれない。人は一人では生きていくことができない。男と女、オスとメスが存在して初めて存続していくことができる。

僕はまた月を見た。キタキツネも月を見た。キタキツネは、そのままどこかに歩いて行った。森の自分の寝床にでも、向かったのかもしれない。僕も、帰ろう。僕にも寝床があるのだ。

僕は車に戻り、自宅に向かった。ドヴォルザークの「家路」が流れる。僕は帰るのだ。僕は、僕の日常に。キタキツネはキタキツネの日常に。

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