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Diary 2012-03

Passed days diary...

2012-03-04 / 父のこと

いい歳になったし、少し昔の事を書き記して置こうかなと思い立ったので書いてみる。誰も読まなくても、ある程度の歳で自分の過去を整理したい気持ちもある。

今から25年程前のこと。僕は、すごく貧乏だった。貧乏にもいろいろ理由があるけれど、僕の場合、父が全く働いていなかったのが原因だった。父は、毎日、僕が学校に行く時には、寝ていた。帰って来るとテレビを観たりして、毎日ゴロゴロしていた。これだけでは、特に害もなさそうだけれど、このような父親にありがちなように、アルコールに依存していた。

父の生い立ちを少し書いてみる。

父は、中学校を出てすぐに、実家を離れて東海地方のある大手企業の工場に就職した。当時は「金の卵」なんて言ったけど、要するに高校なんて行かなくていいから働けというような状況だったのであろう。実家は、ある程度裕福というか、まあ中流の家で特に金に困っているような様子もなかった。次男坊で、甘やかされて育てられたなんていうのを、父がたまに口にしていた。欲しいと言っていたオモチャを買ってもらったりした話もしていた。

そんな父は、中学校を出て、ろくに世間を知らずに工場で働き、同じ職場で好みの女性を見つける。彼女は、2つ年下で東北からやって来たという。やがて、2人は恋に落ちることになった。(イケメンだった彼は、なかなか人気があったらしい。)

ある日彼女は、身体に異変を感じた。吐き気を催し、生理も来ない。もしかしてと、病院に行くと妊娠を告げられる。彼女は、彼に告げた。子供ができたようだと。彼は言った。「それは俺の子じゃない!」彼女は、悲しい気持ちになった。母と父に連絡すると、猛烈に反対された。中学校を出たばかりの彼女、当時15歳である。母になるのは、余りにも早い。しかし、2人は、そのお腹の子を産むことに決め、彼女の実家に戻ることにした。そして、両親に反対されながらも、彼女は男の子を産んだ。僕だ。

この若い夫婦、すなわち僕の両親は父の実家に近い借家で、生活を始めた。工場を2人で退職した後は、職を転々としながら生活していた。そして、子供を僕を含めて3人産んだ。3人兄弟だ。

僕は、幼いながらも、弟2人の面倒をみたりしていたようで、そんな子供の頃の写真も残っているし、弟たちの面倒を見ていた記憶もある。先日、僕が家族で買い物に行った時に、ふと車にひかれないようにと、注意するように息子の名前を呼んだつもりが、一番下の弟の名前をふと無意識に呼んだのだ。30数年前に、同じようなことをしていたのだろう。

さて、両親は子供3人を育てていたのだけれど、何らかの事情で市内で引越しをすることになった。ちょうど僕が小学校に入学する直前だった。

その新しい家は、もう本当にボロ屋で、今思い起こすと、ほんと笑っちゃうくらいだった。

屋根は、瓦ではなくトタンで、かつて塗ってあっただろうペンキは全て剥がれ、結果全てが錆びで茶色だった。屋内は傾き、ボールを置けば転がる。水はけの悪い小さな庭があり、湿気を好む虫の棲家だった。家の周りは、蹴ると倒れそうなブロック塀で、窓は全て薄いガラスだった。ガラス窓の建て付けは悪く、常に外気が室内に入り、冬は雪が室内に入ってきた。雨漏りは当たり前で、天井には雨染みが沢山あり、不思議な模様を描き、風呂はコンクリート剥き出しで、台所にはネズミが棲みつき、便所は汲み取り式で、家のすぐ隣にはドブが流れていた。 部屋はひとつ潰れており、昭和初期の家具や食器などが無造作に入れられており、蜘蛛の巣が張り巡らされ、暗いその部屋の中には何かが住んでいるのではないかと、僕は常々怖がっていた。

そんなボロ屋に引越して来た我が家族であったが、僕が物心つくようになる頃には、父が働かなくなった。腹が痛いだの、歯が痛いだの理由をつけて会社を休む様子を見た。そして、母は家計を支えない父の代わりにパートに出かけるのであった。

母のパートタイムな仕事の収入だけでは、到底家族4人も養えるわけもなく、よく電気が止まった。ガスも止まった。命に関わるのでなかなか止まることがない水も止まったことがあった。電気が止められると、僕たちはロウソクを灯して一夜を過ごした。次の日、母が前借りでもしたのか、工面してなんとか使えるようにしてくれていたが、それでも2日3日は止まったままの日もあった。

僕たち3人の兄弟は、育ち盛りのこの時期に、殆どまともな食事にありつけることはなく、おかずは一品程度だったし、夏は安かったからか、ひたすら素麺を毎日食べてたような記憶がある。

金がないのに、酒を飲みたい父は、近くの商店街にある酒屋に僕達兄弟を買いに行かせた。父に「ツケで」と言いなさいと言われ、そのまま伝えて金も払わず酒を持って帰ってきた。今思い出すと、顔から火が出る。

このような生活をしていれば、当然だけれど、兄弟皆痩せ細り、背が小さく発育がすこぶる悪かった。僕の記憶では、学校で背の順で並ぶ時には、常に一番前だったし、多分兄弟達も同じような様子だったと思う。こんな生活をしていたけれど、僕は、明るい性格であったので、学校では特にいじめられたりもしなかった。しかし、弟は、臭いと上級生に言われたなんて、悲しそうな顔をしていたこともあった。

父は働かなくなるだけでなく、酒に酔って母に暴力を振るうようになった。勿論僕らにも、暴力は及び、僕は理不尽な理由で叱られ拳で殴られた。弟達は恐怖で家の中で隠れ、僕もストレスでおねしょをしたり歯ぎしりをしたりすることもあった。母を平手打ちにした時には、母の鼓膜を破り母の片耳を完全に聞こえなくしてしまった。

ある日、僕は父に殴られた後、押入れの戸を外して作った二段ベッドの上の段で1人寝た。朝起きると、枕が真っ赤に染まり、血が固まっていて、僕の鼻から下は、血だらけだった。僕は驚いて起きた。それを見た父は、泣きながら僕に謝った。本当に申し訳ない、ごめんなと。僕は、父を本当に可哀想な人なんだなと、子どもながらに思った。

さて、上記のような生活が続くとなると、いよいよ離婚が現実的にならなくては、おかしい状況だ。大きく物事が進展することになる。僕は、中学2 年生になっていた。12、3年、よく離婚もせずにここまで続いたものだと、今の僕は思い返す。離婚の経緯は、当時中学生の僕は知らぬことも多く、大人の事情は、把握していないけれど、状況から判断すると、以下の通りだ。

母は身内に離婚したいと話し、それを聞いた父方の両親をはじめ父の兄弟、母の兄弟がすっとんで来た。祖父は、痩せ細った僕らを見て、すまなかったなと謝った。祖父や祖母からは特に金銭的な援助もなかったし、殆ど家に来ることもなかった。祖母は、母に「別れないでくれ」と懇願していたが、母は断っていた。母の姉が、遠くから夫婦で来てくれた。滞納していた家賃数十万円を払ってくれた。

身内が沢山現れて、皆に父が働いてないこと、僕たちのような栄養失調直前の子どもがいる現実、妻の鼓膜を破るような暴力など、言い訳できない状況をあげ、母の兄弟が父に離婚をするように説得し、小さくなっていた父は、了承した。

僕たち兄弟と母は、母の弟がすむ東北地方の母の実家に戻ることになった。荷造りをして、車に荷物を詰め込み発車した時、父は、僕たちが乗った車をいつまでも見送っていた。

僕は、顔の造形が完全に父譲りだ。鏡を見れば小さな頃見た、あの酔って殴りかかってきた父にそっくりだ。趣味も近い。オーディオや音楽鑑賞が好きなこと。機械が好きなこと。お酒も好きだ。

似なかったのは、家族に暴力をふるわないこと。働き続けることができること。

若くして結婚し、親となった両親の離婚した歳をすでに超え、子を持つようになった今、血の半分分けている父のことを考える。ある意味、非常に人間的な人なんだろうと思う。 それもとても弱い人間だ。今でも人間としては、全く尊敬できないできないでいるけれど、父がいなければ僕は存在しないし、複雑な気持ちになる。

先日、こんなことがあった。父と母の共通の知人を通じて、連絡があり我々家族に何一つ残すことができなかったお詫びで、保険をかけて僕たち家族の誰かを受取人にしておきたいと。母は、拒否し我々兄弟も考えた後、拒否した。もうすでに何もかもが遅すぎた。あれから20年以上経っているのだ。でも、これだけ経っても、我々のことを考えていたということに驚きもした。

僕が細君と結婚する前、僕は義父と義母に、僕は裕福な育ちではないこと、片親であること、将来的には母の面倒を見なければならないことを説明した。義父と義母は、すぐに理解をしてくれた。僕は、本当に感謝でいっぱいだった。僕は、改めて自分の父のように絶対にならないと誓ったし、自分に生まれてくる子供には、僕がされなかったようなたくさんの愛情を注いで育てようと考えた。

いつか、父に会うようなことがあったら、伝えたい。

「親父、あんたは本当に馬鹿だったよ。でもな。あんたの息子たちはちゃんと自分の家を持つようになったし、孫までいるんだ。僕たちを産んで育ててくれてありがとう」

Anonymous : 2012-03-23 05:43

僕はヴィジュアル系が好きで、去年このblogをみて、他よりレヴューがしっかりしているので、お気に入りに登録しています。音楽に詳しそうなので、きっと何か楽器でも習っていたのだろうと思っていたら、とんでもない。凄く大変な家庭で育っていたんですね。僕は中の下くらいの家庭でお金に恵まれていたわけではないけど、人並みというか、十分幸せに育って今はドイツで自分の好きな仕事をしています。今度、ヴェルサイユの新しいアルバムのレヴューもいつか書いてください。今までよりも、もっと楽しめそうな気がします。

ジュン : 2012-03-24 01:19

こんばんは。初めまして。いつもご覧いただきありがとうございます。久しぶりのコメントでうれしいです。これは中学生の頃までのお話なので、高校生の時には、バンドを組んでベースギターやドラムスをやったりしてました。その頃の好みからあまり変わってないので、このようなブログをやるようになったという面もあります。Versaillesの新しいアルバム、レビュー必ず書きますので、気長にお待ちいただければと思います。

Anonymous : 2012-03-26 07:08

お返事していただいて、どうもありがとうございます。そーだんたんですね。僕もバンドやってました。やっぱり好きで演奏していた人にしかできないコメントだと思ってました。ジュンさんのレビューは、時間をかけて音楽を聞き込んだ人にしかできないレビューだと思います。だから、あせらず気長に楽しみに待っています!

ジュン : 2012-03-28 02:25

ありがとうございます。なんだかんだで書かなきゃってことでHoly Grail聞き直してます。

アマカナタ : 2012-09-15 10:30

はじめまして。はてなスターをBloggerに埋め込む方法を探して、このブログにたどり着きました。
blogger提供のテンプレートではないため、そちらはうまくいっていませんが、それよりも本日のブログに少々、感情移入しました。
どこで人生の歯車が狂うかわかりませんが、たった15歳で結婚し、子供を持ったご両親のご苦労にシンパシーを感じました。
私自身は中流サラリーマンの家庭に生まれましたが、裕福ではないまま家庭を築こうとしており、御父君と似たような人生を歩んでしまわないか、という一抹の恐れを感じています。
年を食っている分、知恵がついていることだけが救いですが……。
子供には、ジュンさんが味わったような苦労を決して掛けてはいけませんね。

ジュン : 2012-09-26 10:10

はじめまして。
なんだか恥ずかしい話ですが、読んでいただいて何かを感じていただいたなら、嬉しいです。今は私も子供もつものとして親としてどう生きて行くのか、いろいろ考えることもあって整理してくて書いたのかも知れませんね。
私のブックマークの記事、お役に立てなくて申し訳ないです。

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