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マンション
Last Modified : Sat, January 06 22:02:59 2018
2001-06-21 / マンション
喫茶店があった。一人のママと手伝っている女性が切り盛りしているよくある小さな喫茶店。会社に近いこともあって、よく通っていた。当時も今も携帯電話屋さんな私は、ある日、お手伝いの女性から携帯電話を購入したいと聞き、早速、店に電話をした。
「それでは、お店にお伺いしてよろしいですね?」
「ううん。家にきて欲しいの」
「わかりました。何時にお伺いしますか?」
「1時は大丈夫?」
「はい。それでは、明日1時にお伺いいたします」
私は、パンフレットやら、契約書やらをカバンに詰め込み約束通り彼女の自宅へ行った。高級そうな分譲マンション。娘が使うのを契約するという話だったので、娘さんも同席するのかも知れない。呼び鈴を押し、出てきたのは店にいる時と同じタイトなミニスカートを身に付けたいつものお手伝いの彼女だった。
年齢は、間違いなく40代である。しかし、彼女はいつも若い格好をしていたし、健康そうだった。さすがに年の功もあってスリムな体型とは言えなかったが、チャーミングな太り方であった。おそらく彼女の明るい性格も相乗して彼女の魅力を引き立てていたのだろう。私は彼女を魅力ある女性だと感じていた。性的な魅力ではない。私が結婚して嫁さんにこんな感じに年を重ねてくれればなぁと思っていた。一緒にその喫茶店に行く会社の同僚達も彼女には好意的であった。
彼女は、私を居間のソファーに座るように促した。お客様先での座るべき場所に座り、キッチンの彼女を待った。彼女は、家までわざわざ呼んだことに対しての詫びを言いながら紅茶を低いテーブルまで運んだ。彼女と向かいあいながら、契約内容の説明や契約書の書き込みなどを済ませると、彼女は自分の話を始めた。
「私ね、あの店で変な男に言い寄られているの」
「はい」と返事をする。彼女ならそのような男がいても不思議ではなかった。
台所に戻ると紅茶のおかわりを持ってきた。いい香りのする上品な紅茶だった。彼女は、ソファーにいる私の隣に腰掛けた。紅茶を私の目の前に静かに置く。それは、あらかじめ決まっていた儀式のようだった。
「困っているんだぁ」
彼女は、私の隣で困った顔を見せる。携帯電話の契約の説明ならなんとかなったが、彼女の個人的な悩みには答えてあげることは、私にはできなかった。静かに私を見つめる。何かを求めていた顔だった。私は気づかないふりをして話を携帯電話に戻す。でも、彼女はあいまいな返事をして、すぐに黙って私の隣でももをすりながらもじもじしていた。私は、紅茶を一口飲み、立ち上がった。体を45度の角度で、隣で私を見ていた彼女は、驚いた様子で私を見上げた。彼女がまるで久しぶりに会った母親のように小さく見えた。そこに、座っていた女性は母と変わらぬ歳の、ただ寂しかっただけの一人の女性だったのだ。私は、彼女にしてあげることがあるとすれば、ただ黙って現実に戻してあげることぐらいだった。彼女は私の腕を握っていた。私は彼女の手をポンポンと軽く叩いて、玄関に向かった。
「それでは、失礼いたします」
私は、営業マンに戻り彼女の部屋を出た。
私は、彼女を傷つけた。でも、私は何もしてあげることができなかったのだ。
その店は間もなく、経営者が変わり彼女を見ることはなかった。5年くらい前の私の出来事。
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