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神戸長崎大阪の旅 04

Last Modified : Sat, January 06 22:02:32 2018 RSS Feed

2002-10-08 / 神戸長崎大阪の旅 04

若い彼の携帯電話のアラームで目が覚める。Dream の曲だ。曲名は知らない。長崎の空は、薄曇りであまりぱっとしない。予報では雨は降らないようだけれども、降ってもおかしくはない。

既に、目を覚ましていた若い彼の相方に、場所を借りた礼を言うと自分の部屋に電話をかけて、開けてもらうように言った。自分の部屋に戻ると本来僕が寝ることになっていたベッドが全く使われていないので、シーツが神経質に平らになっていた。彼は非常に具合が悪そうだった。二日酔いだという。これでは、折角の長崎もあまり気分がよくないだろうと思う。僕の方は、酒量の割には、調子もよく全く問題はなかった。少し多めの小便をして終了だ。

ホテルの朝食は、和洋選択できたので、僕は洋食にした。彼もそれには同意し、最上階の展望レストランに向かう。プリンスホテルのほとんどがそうであるように、長崎プリンスホテルの朝食もバイキング形式であった。内容もほとんど似たような感じだ。スクランブルエッグに、オレンジジュースにサラダ。僕は適当によそって、彼と一緒のテーブルで食事をした。彼はずっと「具合が悪い」と訴えていた。僕は同情してみたけれど、僕の同情で彼の二日酔いが解消することもないし、悪化することもない。僕の身体は、水分を要求していたので、オレンジジュースを小さなコップで 3 杯飲んだ。あまりバランスのいい食事とは思えなかったけれど、僕は普段朝食を食べないので、それに比べたら雲泥の差だった。

10:30 に長崎プリンスホテルの前に集合し、バスに乗り込む。バスは、霞の中で少しだけ寒そうにして待っていた。小走りでバスに向かったので、僕の胃の中ではパンとオレンジジュースが混ざっていた。たぷんたぷん。

バスは全員乗せると、長崎原爆資料館に向かう。長崎は広島の原爆投下の 3 日後の昭和 20 年 8 月 9 日の朝に、原子爆弾が投下され、およそ 4 万人の死者を出した。僕は広島市の原爆資料館にも行ったことがあるのだけれど、やはりとても考えさせられる場所だと思う。これらの悲劇を現実のものとして、目の当たりにすると、恐怖と怒りを覚える。

資料館を出ると、平和公園に徒歩で向かう。平和公園では、修学旅行生が大量にいて、集合写真を撮っていた。集合写真をいろんな面白いポーズで撮ったり、楽しそうな顔をして撮っている彼らを見ていると、なんだか少し違う気がした。未来は彼らにあるけれど、大事な何かを忘れてはいないだろうか。その立っている地面の上で、水を求めながら死んでいった人々がいることを忘れてはならない。そして、彼らの犠牲があって、このような平和な日本で、写真撮影ができるのだ。

僕は、一切写真を撮影せずに、平和公園を後にした。バスの中も少しだけ神妙な空気が流れていた。バスから見えている長崎の景色も、数十年前には焼け野原だったのだ。僕は、町並みをそんなことを考えながら眺めていた。

それから、バスで山を登り大浦天主堂(キリシタンの教会)、グラバー園の見物をした。長崎は、キリシタンや貿易で栄えた町であり、勿論現在でも、クリスチャンもいるのだそうだ。そして、グラバー氏の三菱造船所も現在でも、長崎の多くの人の就業先となっている。グラバー園の広場では、三菱造船所が見えて、先日燃えてしまった豪華客船ダイヤモンド・プリンセスも見ることができる。客室部分から黒い炎の跡が残り、火事の凄まじさを物語っている。そして、とても大きい船だ。周りの船舶と比較しても、とんでもなく大きい。これらの造船の作業に携わっていた人たちの悲しみは計り知れないものだ。僕は、この長崎を右から左に通り過ぎるだけだけれども、彼らはずっとこの現実に直面しているし、立ち向かわなくてはならない。

グラバー園の下にある、よくある土産物の販売店の並びで、長崎ちゃんぽんと皿うどんを食べる。どちらも少し冷めていて、あまり美味しいものであるとは言いがたかった。味にはうるさくなくても、温度くらいはわかる。

食事を終えて、バスに戻るといよいよ、帰路につく。まず、長崎空港に向かう。これもまた高速道路に乗り、走る。バスの中ではほとんどの人が眠りについていた。そして、僕も睡眠を欲していた。この 4 日間の旅は、楽しいものではあったけれど、やはり疲れもあった。バスが、長崎空港に到着した。

長崎空港は、よくある地方の空港で大きくもなく、日本全国に飛べるわけではない。だから、今回の飛行も一旦、羽田空港を経由して、新千歳空港に向かう。飛行機の中では、どうせ暇をもてあますので、「海辺のカフカ」をスーツケースから取り出した。スーツケースを手荷物預かり所で預けて、16:00 全日空 668 便長崎発羽田空港行に搭乗する。

飛行機の中で、「海辺のカフカ」を取り出した時、それが読んでいた上巻ではなくて、下巻だと気がつき僕は自分のミスに苦笑した。これでは、順序がめちゃくちゃだ。でも、飛行機の中は、時間を潰すものに乏しく、諦めて読むことにした。ナカタさんは、猫さんと話ができなくなっていた。よくわからない。

羽田空港に降り立った時には、既に日は落ち夜になっていた。巨大な空港である羽田空港の滑走路を眺めて、飽きると、また乗り換えの搭乗口の待合場で、本を読み進める。半分近くまで読んでしまっている。前後した話が、全くわけがわからない。大島さんが女?

18:30 全日空 073 便羽田発新千歳行に搭乗した。機内では勿論本を読んで過ごした。周りのみんなは疲れているのだろう。寝ているのがほとんどだ。疲れは睡眠で回復するし、僕の身体もそれを欲していたのかもしれないけれど、僕は本を読むことを選んだ。夜の飛行機の中で読む本は悪くない。時折眼下に広がる街の煌きを確認しながら、僕はひたすら本を読んでいた。

飛行機が、新千歳空港に到着した。飛行機の出口から出ると予想されたことではあるけれども、肌寒い空気が僕たちを取り囲んだ。これでやっと北海道に帰って来たんだと思う。僕はまだ、本の中の世界にいたので、現実にも帰ってきたのかもしれない。手荷物を受け取り、出口にて集合し、解散した。僕は、歩きなれた新千歳空港を一人で歩き、駐車場まで向かった。空港内のお土産の店はシャッターが下りていて、歩く人も少ないので、閑散とした印象を受ける。この旅で一緒に行動した彼らには、また会うことがあるかも知れない。そんなことを考えながら、歩いた。

夜の駐車場に、僕の Prelude を見つけると、安心した。Prelude は、いつもの通り僕の帰りを待っていた。あまり愛想のいい顔つきではないけれど、僕の重い荷物をトランクに載せて、冷え切った車内と半そでの僕をヒータで温めてくれる。ヒータが必要な温度なんだなと改めて思う。ユニバーサルスタジオジャパンでの、夏のような日を思い出す。ここは、日本ではあるけれども、やはり少し違うのだ。そして、僕が毎日を過ごす場所なのだ。

車が少し温まると、僕はクラッチを思い切り踏み込んで、ギアを Low に入れてアクセルを少しだけ踏み込んだ。タコメータは少しだけ針が振れて、Prelude は少しずつ前に進みだす。帰るよ。Prelude。

千歳インターチェンジから高速道路に乗り、5 速でゆったりとしたスピードで走る。いつも高速道路だ。ラジオのパーソナリティは、寒くてヒータを使用するかどうか迷っていると話している。僕の狭い部屋にも、もう少ししたらヒータが必要になるのかもしれない。

Prelude は、高速道路のライトに時々照らされて白く光る。100km / h のスピードで。そして、僕はまたステアリングを握り、このシートに座っているのだ。これからもよろしく。

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