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吹雪の中を歩く
Last Modified : Sat, January 06 22:01:41 2018
2007-02-14 / 吹雪の中を歩く
僕が毎日、会社の行き来をするのに、札幌の観光地であり中心地の大通り公園を横切るのだけれど、12 日まで行われていたさっぽろ雪まつりの「あと」を見ることができる。まさに「祭りのあと」といった風情で、大規模な雪像は単なる雪の山になり、小さな市民雪像は、小さな雪のかたまりになる。僕が最初に札幌に来た時には、壊されてしまった雪像を見て、どうせ春が来たら溶けるのだから、そのまま置いておけばよいのにと思ったのだけれど、溶けて崩落した際、通行する人々が怪我をしてしまう可能性を考えると、壊してしまうのが、あるいは適切なのかもしれない。
札幌の雪まつりをテレビのニュースなどでご覧になったことがある諸兄も多かろうと思うけれど、少なくとも僕は雪まつりを終えた後のニュースなんてのは、見たことがない。多くのニュースは、芋を洗うように雪像を眺めながら大通り公園を歩く観光客と、大きな雪像を映し出す。そして、多くの人たちは毎年放映されるニュースを記憶し、まだ見ぬ、あるいは見たことがある、その様子を容易に連想することができる。そこには底冷えする寒さがあり、甘酒の匂いがあり、タバコを吸いながら歩く観光客もいれば、雪像に見向きもしないで、仕事やら遊びやらに向かう市民がいる。
まつりのあとは、重機で雪像を壊し、何週間もかけて氷点下の中で仲間と一緒に作った市民雪像も漏れなく壊される。そんな大小の「もと」雪像だった雪の塊を見るとなんとも寂しい気持ちになる。
さっぽろ雪まつりは、たくさんのお金が使われ、多くの労力が使われ、様々な思い出を提供し、いくつかの「もと」雪像だった雪のかたまりが残る。僕はその雪のかたまりを横目に見ながら猛吹雪の中、歩く。雪のかたまりは、もう誰にも見られることもなく、ただ溶けるのを待っている。でも、まだしばらくは溶けそうにもない。
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