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Lunatic Moon 11
Last Modified : Sat, January 06 22:02:38 2018
2002-06-16 / Lunatic Moon 11
車の中では、彼女は見慣れない僕の家の近所の様子を見ていた。ブルーのワンピースを着ている彼女を見ると、まるで別人を乗せているかのようだった。
「ねぇ、私ね、あの仕事を辞めようと思うの」
「そうか。その方がいいね。裸で変な男に連れ去られずに済む」
「うふっ。貴方は優しくていい人だわ。街で素敵な出会いができたらよかったのに」
「君は大事なことを忘れているよ。僕は君と寝た。もしかしたら、君と寝るために誘ったのかもしれないよ」
「ううん。そうそう裸の女の子は落ちていないわ。それに貴方は、なんだかつかみどころがなくて、変な人。でもね、あの夜に貴方に抱かれたのが、多分いいきっかけになったかも知れない。あの月の光を浴びて、貴方に優しくされていたのがね」
「うん」
地下鉄の駅の前は、見送りや迎えの車が数台停まっていた。その一番後ろにつけると、僕は彼女に 1 万円を渡した。彼女は最初は遠慮したが、財布を持っていないので、最後には受け取った。これは、お客として払ったのではないのだ。君の足代だよと。
無邪気に手を振ると、彼女は地下鉄の階段を下りて行った。僕は彼女を見送りながら、ステアリングに手を載せていた。あの娘ともう二度と会うことはできないだろう。これで、僕は日常に戻るのだ。そして、また一人の生活に戻るのだ。
その夜、僕はまた峠道を走りに行った。勿論僕は、そんなに若くはないから、無茶な速度でタイヤを鳴らしながら、曲がるような運転はしない。それが楽しいのは、もう少し若い頃だったのだ。ああ、あの時は、夜空に浮かぶ月さえも見ていなかったのだ。道を見て、ハンドリングを考え、次のカーブを頭に描き、最も適切なギアを選択することを考えた。そんな走りをいつしかしなくなった。ただ、道をトレースして、横を通り過ぎる森や、夜空に浮かぶ月を見て速度を保って走るのだ。
彼女と初めて会ったパーキングに駐車する。彼女と会った時と同じように、街路灯もなく、車も一台もなく、相変わらず月の光だけが頼りだった。僕の車は、まるで散歩を待つ犬のように、静かなエンジン音を立てて、僕の帰りを待った。僕は、また月を見た。月は昨日よりも、少しだけ欠けているか、満ちているはずだけれど、僕には全くわからなかった。天文少年ではなかったのだ。月は、子供の頃描く絵のように黄色ではなくて、白い。白い月の光が、地上にいる僕にも、しっかりと注がれている。後ろを振り返ると、しっかり影ができている。僕は、左手を少し振ってみた。影はしっかりと同時に手を振った。
歩いて、湖畔に行くと、そこには、一組のキタキツネがいた。人間に慣れたキタキツネは、僕が来ても遠慮することなく、その場に留まった。僕は、キタキツネの隣に腰掛けた。湖は静かに波打ち、僕の足元に寄せていた。湖水は限りなく透明で、月の光のおかげで湖底が見えた。そして、波に月の白い光が反射して、僕の目に突き刺さった。静かな波音と、幻想的に輝く湖面。キタキツネの恋人(僕が勝手に想像しているだけだけれども)たちは、僕と一緒に、湖面を見ていた。彼らには、この湖水は、僕たちの海のように見えるかも知れない。ふと、涼しい風がほほを撫でる。僕は彼女の冷たいほほを思い出した。キタキツネのカップルは、風に当たると互いに体を寄せ合った。そうだ、キタキツネでさえ、体を寄せ合うのだ。僕は、なんだかあの夜のことを思い出した。
「なぜ、僕となんか寝るんだい?」
「多分、誰かに触れていたかったんだと思う。ねぇ、なぜ人は人と触れたがるんだろう?」
僕たちは、触れあっていないと安心できない生物なのだ。いや、キタキツネでさえ、触れ合っていないことには、互いのことを確認できないのかもしれない。触れ合って、体を寄せ合って僕たちは生きている。触れ合うことが、なかなかできないで寂しい夜を過ごしている人もいるだろう。体を寄せることができないで途方に暮れるキタキツネもいるかもしれない。人は一人では生きていくことができない。男と女、オスとメスが存在して初めて存続していくことができる。
僕はまた月を見た。キタキツネも月を見た。キタキツネは、そのままどこかに歩いて行った。森の自分の寝床にでも、向かったのかもしれない。僕も、帰ろう。僕にも寝床があるのだ。
僕は車に戻り、自宅に向かった。ドヴォルザークの「家路」が流れる。僕は帰るのだ。僕は、僕の日常に。キタキツネはキタキツネの日常に。
Fin
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